さっき見た、逆さまの鉄橋。
その向こうの夕日。

車に轢かれにゃならんほどのことを、しでかしたか。
……やっぱりな。

つべこべ考えずに、やることをやれ。
そう考えた。
そのやることは、間違っているだろう。
そう、大体の予想は付けていた。
何もしないのは、俺がやってないだけだと、俺にはできないと、そう決定付けていたまで。

アホになるのも難しい。
天井が分からへんわ。

真っ暗な中、随分と時間が経ったような気がした。
何も見えないので、今が何時なのかも分からない。

トランクの中ってのは随分揺れるんだな…。
そんな感想。

これから自分がどんな目に遭うのか。
俺は完全に攫われたんだ。
命を落とすかもしれないし、落とさないかもしれない。

直樹はトランクに寝そべった状態で、手を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返す。
肩も動かしてみる。
間違いなく、両方とも動く。
右ひざを曲げるようにして上げてみる。
これも間違いなく動く。

３本の手足、これだけあれは十分だろう。
メチャクチャ痛いので、頭に来た。
トランクが開くと同時に……

我ながら恐れ入るのは、こんな状態の中、俺が、俺に対する、俺の生への執着や。
俺はどこかで、死ぬなんてことは無縁と考えている。
死への思想がない俺は、生への執着が人一倍なんだろう。
いくら枯れてしまっても、こればかりは変わらないと見た。
だから、決めた。
トランクが開いたら飛び出して、そこにいるヤツを手当たり次第潰してやる。
そして逃げてやる。

俺は生きていて、
死にたくないんだ。

長い間走っていた車は、やがて止まった。
ブレーキの勢いで、トランクの中を転げまわった直樹、何かの角で頭をぶつけた。
…イラッとする。

バタンッ！
ドアを閉める音。
外で話し声が聞こえてきた。
声の種類を聞く限り、…４人はいる。

この間は７人相手に、結構余裕やったからなぁ。
左足とケツの痛みを引いてみて、
……上等じゃ！！

カチャッと音がして、トランクが開く。
直樹はそれと同時に、外へ飛び出した！
「…ッ！？」
しかし、自分の取った行動は、想像したものとはあまりにも違うもの。
飛び出すつもりが、巻くれ落ちる。
「何じゃコイツ！！」
連中の声も無視し、直樹は自分の左足を見てみた。

道理で痛いワケや。
立たれんやんけ。

直樹の足首は内側に９０度以下に曲がり込み、くるぶしが２つ３つあるような形になっている。
車に手を置き、一人で立ち上がる直樹。
周りを見回してみた。
どうやらここは街からかなり外れた、野球のグラウンド。
かなり広い敷地だ。
辺りは暗い。
小さな建物…トイレなのか、その街灯に照らされた人数を数えると、相手は全部で８人。

人数と力を確認しながら、この期に及んで考える。
……予想より大分多いな。
でも、行ける！

SAトレーナーv3のスピードハックが動作しません。

連中の中の一人が喋り始めた。
「逃げるからアカンのやぞ。お前、しかし丈夫にできとるな。足折れとるだけかいな」
その言葉に、直樹が答える。
「こりゃあケツも折れとるで。見てくれるか」
余裕を見せるが、満身創痍。
ただ自分の中で幸いだと思っているのは、恐怖心がないこと。
「ウチのボスがなぁ、今から来るんじゃ。その足じゃ逃げられへんやろうが、一応縛らせてもらうで」
「アホか。どんな趣味しとんねん。言うこと聞いて縛られる思うか。それ以上近づいてみぃ、潰すからな」
車に手をついて、やっと立っている。
そんなヤツが言うセリフではないと、自分でも感心している。
……この後、自分はどうなるんだろうか。

直樹の目の前で、相手は車からロープを出して近づいてきた。
恐怖心はない。
だけど、余裕もない。
直樹は右拳をギュッと握り締め、大きな右ストレートを繰り出す。
彼はそのパンチを余裕でひょいッと避けた。
勢い余った直樹の体は、そのまま地面に倒れこむ。
しかしすぐに立ち上がり、次の攻撃。
前に出す拳。
避ける彼。

左足が痛いのに、慣れてきた。
そう、自分に言い聞かせる。

直樹は左足を地面に着き、ファイティングポーズを取る。
８人いるうちの何人かが、それを見て身構えた。
そんな彼らを、ロープを持った彼が制する。
「お前、そんな状態でまだ粘ろうっちゅーんか。エエやろ、俺が大人しゅうさせたる」
その言葉に、外野の何人かが反応した。
「オイ！何でや！フクロにしたったらエエやないか！！」
「アホウ！無傷で連れて来い言われとるんやぞ！？　
大人しゅうせんから車で引っ掛けたったが、これ以上ケガさせたら何言われるか分からへん！
まぁ、せやけどコイツはコイツで言いたいことあるみたいやからな。
コッチは聞く耳ないし、大人しゅうさせなアカンやろ」
言い終えると、彼はすごい勢いで直樹に突っ込んできた。
それほど速いとは思わなかったが、そのパンチはガチンッ！という音とともに直樹の顎を捉える。
かわせなかった。
すかさず、逆からも。
…気が付けば、直樹は尻餅をついていた。
たった２発。
たったそれだけで、もう立てない。

「くそッ！！」
広いグラウンドに、直樹の声が響き渡る。
あっと言う間に後ろ手に縛られ、髪の毛を押さえつけられるように地面に座らされてしまう。
「ウチのモンに手ェ出したらどうなるか、知っといてもらわなアカンからな」
直樹に掛けられた言葉は、これが最後だった。

何かを考える余力はない。
そんな直樹の周りで、連中たちは談笑を始めた。

……随分待たされる。
何で待ってもないヤツを、こんなに待たされなきゃいけねぇんだ。

直樹は自分の左足を見つめながら、ただただ時間が流れるその空間を過ごしている。
やがて、遠くの方から車のライトが近づいてくるのが見えた。
全員が一斉に黙る。
直樹も顔を上げる。

やって来たのは２台の車。
中からは４人の影と、
「おい、いつまで寝とんねん。着いたぞ、起きろや」
そんな声が聞こえてきた。
「何で俺がこんなトコまで来なアカンねん！ほんま、今日は見たいテレビがあったんやぞ！
何回も言うてるやないか！１年がどうこうとか、俺は知らん！」
「何言うとんねん！いつまでグズッとんじゃ！ナメられたら終わりやで、健！
バチッと締めとかんとナメられるんじゃ！」

…また更に４人がこちらに近づいてくる。

「まったくよぅ！面倒クサイなぁ！お前らで勝手にやっとけや！」
そう言って、頭をグシャグシャと掻き毟りながら近づいてくる４人のうちの１人に、直樹は目を奪われた。
「……ッ」

頭を振って、自分を押さえつける手を払いのける。
目を見開き、視線を外さないまま。
後ろ手に縛られた状態で、立ち上がった。

そこにいたのは、間違いなく……

――――　やっとか。

会わせる顔がないから、こんな手段で通してきた。
まさか、こんなタイミングとは。
「……は！」

なぁ、何と呼べばいい……？

ニヤケそうになる。
それをグッと堪えながら、
恫喝するように、
全身の力を込め、

叫ぶ！

「ぉ・おおばやしイイィィ―――――――ッ！！！」

その声に、彼はフッと顔を上げ、足を止めた。
一瞬、ニッと笑ったように見えた。
しかしその口は、すぐに真一文字に閉じられる。

後の３人は目に入らない。
後の８人も気にならない。

彼は隣に立つ仲間に問うた。
「アイツか」
「おう、みたいやな。俺もよう知らんねん」
更に近づいてくる彼。

随分と、背が伸びたな。
……パクウ。

「まぁ何や、こんなに大勢でみっともない」
連中は誰も口を開かない。
直樹が喉元で感じているのは、逸る鼓動。
押し出した声は、ともすれば震えそうだった。
「……おい大林。俺はな、このまま将来は無頼漢になるか思うとったで」
「無頼漢？ハハッ！お前、高校生の段階で何言うとんねん」

やっぱりコイツは少し違う。
こんなことを言ってやっても、そんな風に返ってくる。
いい感じのレベル。
が、……とりあえず、今しなきゃいけないこと。

「おいお前ら、コイツにこんなことして、知らんぞー？」
そうパクが喋り始めた。
「何て聞いてるか知らんが、コイツの名前はな、狂国狂心丸。狂った国の狂った心の丸や」
パクの隣で、誰かが口を挟んだ。
「何や健、知り合いか！？」
「知り合いも何もお前、俺は中学のとき、１回コイツに殺されとる。まぁ俺の場合、その後すぐに雷に打たれて生き返ったんやけどな。
コイツはな、磔拷問受けとる母親から産み落とされたんや」
パクのその演説を、黙って聞いている連中たち。
「コイツはアレやぞー？あのアンドレ・ザ・ジャイアントに『おい、スプライト買うて来い』言うて、使いッ走りに使うようなヤツや。
そん時２００円渡して『お前も好きなん買うたらエエ』言うてやんねん。
ほしたらあのアンドレが『えー！？ほんまにエエん！？』言いながら、ちゃんとスプライト買うて来やがる。
そんな男や。
おいコラ、早うそのロープ解かんかい。殺されるぞー？」
その声に、それまで直樹を押さえつけていた連中が、慌てて後ろ手のロープを解きだす。

……とりあえず、済ましとかなきゃいけないこと。

直樹の声はいつもより大きい。
「おいコラ！！今回のコレは、全部お前の命令か！！」
パクの反応を待つ。
彼はしばらく黙り、やがて、
「おう、そやな。まぁそんなところや。
アンドレの兄貴分をとっ捕まえるんやからな。人数は要るやろ」

嘘吐けッ！！
さっきゴネよったやないか！

今度は直樹の方から、足を引き摺りながらパクに歩み寄った。
「ほんならお前は知っとるんやな！？こん中に、俺の先輩の金を巻き上げたヤツがおるんや！
そのカツアゲもお前の命令か、大林！！」
瞬間、パクの顔がクッと締まったように見えた。
パクが連中に向かって言う。
「おい、ツッちゃん！」
塊の中の一人がパクに近づいた。
「今回の話、ツッちゃんから出とるんよな？」
そう言って、パクは彼に向かって手を差し出した。
「奪った分、全部ここへ出しや」

――――　パクは、直樹を疑わない。

「お、おい！ちょっと待ってくれや健くん！ゼニなんか奪ってへんって！
何やねん、こんなヤツの言うこと信用するんか！？」
そこまで言い終えた彼に、パクは近づいた。
無言のまま。
そしてイキナリ、彼の腹部に膝蹴りを
ボクッ！！
すかさず背中に、肘打ち！
ドカッ！
もう一度膝蹴りを、
ドゴッ！！

「ウゲェッ！ウヘッ！ゲェェェッ！！」
彼はその場に嘔吐して、倒れ込む。

無言のままの、パク。
そのまま直樹に向き直った。
「ほら、今度はお前や。ウチの１年ヤッてくれたそうやないか。どがいにすんねん」
「………」
その状況を見ながら、直樹は思う、　　　　……何も、考えられない。

とにかく、長かった。

直樹はそして、テツのことを思い出す。
詫びるわけにはいかない。
「それがどうしたんだ！？アアッ！？」
そう叫び、パクに詰め寄った。
パクもこちらへ詰め寄ってくる。

２人は額を引っ付け合いながら、押し合う。
「おい、随分背ェ伸びたんちゃうか？」
パクはあの頃から、見た目が変わっていない。
背が伸びて、
…ん？少し後ろ髪が長くなったのか。
相変わらずの金髪のオールバック。

直樹は自分の額でパクの額を押さえつけながら、
「まぁ背ェ伸びた言うても、俺には勝たれへんけどな！」
それを押し返しながら、パクが言う。
「おぉい、虎の皮被っとるキリンに身長で勝ったらアカンやろ！」

別に、せぇの！とは言っていない。
パクが喋り終わったのを合図に、お互い大きく仰け反り、力を溜め、頭を振り下ろす！

ゴツンッ！！

重い音。
お互いがその痛みと勢いで体を後退させる。
「「イダダダダッ！」」
２人で同じ感想を言い合う。

直樹は思う。
少し話そうか。
そして拳を握り、身構えた。
どうやらパクも同じ考えのようだ。

この感覚に陥ったのは、どれだけぶりだ？
まだ動いてないのに、リズムを刻む。
聞こえるのは、ドヴォルザークの『交響曲第９番　新世界より』

「おい健！一体どうなっとんや！お前何やっとんねん！！」
外野がうるさくって、黙れと思う。
「ウッサイ！！黙って見とれ！！」
パクウにはいつも、助けられる。
今のも、そうなんだ。
「ほんなら、俺から行くでェ！！」
パクの右拳が直樹の顔面を捉えた。

ボクッ！

痛い。
だけど我慢できる。

今度は直樹の右拳がパクの顔面を狙う。
バクッ！

「何じゃそら！全然痛うないぞ！」
それを聞いて微笑んでしまった。
パクの顔にも薄い笑みが浮かんでいる。

……忘れたいことがたくさんあるから、話すときに思い出してみるよ。
間に合って、良かった。
お前ら２人なら、話を聞いてくれるんやろ。

２人は、喋った後に１発、
喋った後に、１発。
それを繰り返す。

「なぁ！タケシは、元気・かッ！」
ゴツンッ！
「おう！アイツ、印刷会社で、働いとる・でッ！」
バキッ！

パクウのパンチ、こんなに軽いハズがない。
足が折れとるのに、立ってられるからな。
もっと、思いっきりドツイてくれていいぞ。
俺にはできんけど……

……なぁ、俺の弱点を知ってるか？

「タケシは社会人か！スゴイ、なッ！」
ゴンッ！
「おう！立派にやっとる、でッ！」
ドスンッ！

……俺の好物、話したっけ。

「妹さんはッ！」
パチンッ！
「あんまり、話せんけど！取り合えず、元気みたいや、ぞ！！」
バンッ！
「「ハァ、ハァ、ハァ……ハァ…ハァ……ッ」」

……俺は、パンツはトランクス派やぞ。
朝は、食事の後に歯磨きするぞ。

「２人とも、元気やったら、良かった・わッ！」
ガツンッ！

パクの口から血が流れている。
自分も。
口の中を舌でモゾモゾ探ってみた。
「ペッ！！」
…折れてもうたな。
糸切り歯か。

「おう！元気元気！元気や！お前も元気そうやな！」
ドスンッ！！
パクの拳が直樹の胃の辺りにめり込んだ。
そこで膝をつく直樹。

……なぁパクウ。
タケシは俺のこと、覚えてるかな……。

膝をついて俯いた直樹、
「おいおい何や！もう終わりか！？」
パクのその言葉に、声を上げた。
「あ――――ッ！！しもた！パクウ！コンタクトが…ッ！！コンタクトが片方、落ちてしもうた！！」
「ええッ！？何やて！？マズイやないか！！」
２人は急いで地ベタに張り付き、コンタクトレンズを探し始める。
喋っているのは２人だけ。

周りを囲む連中には、２人の会話やこの状況がうまく飲み込めない。
黙ったまま、ただ見ている。

「……おい直樹、こんなに暗かったら探すの無理ちゃうか」
「そうやな……」
２人は胡坐をかいて向かい合った。

「……パクウ、……ごめんな」
そう言った直樹。
当然、今回のことではない。
「イヤ、お前が謝るなよ。俺らも悪かったんや。
お前ンとこのオヤジさん、俺らみたいなの嫌いなの知っとったのにな。
お前は悪ないんやから謝るなよ。
どっちかいうたら、その後ビビッてもうて連絡できんかった俺らの方が……なぁ、せやろ？
俺の方こそ、ごめん」

２年ほど前の、あんなこと。
昨日のことのように、パクには通じた。

「なぁパクウ、コレ見てくれよ」
右拳をパクの前に出す直樹。
「俺なぁ、昨日…？一昨日？ドツイたったヤツの歯ァに当たってな、穴開いてもうたんや」
「うわッ！エグッ！バンドエイドくらい貼っとけよ！」

……もう少し、話をさせてくれ。
そう思う。

ここを目指しとったんやから。
詳しいことは、また今度にしよう。

この約２年。
わざと目立つような行動を取り、
髪型を変えず、
目印
旗を立てて、やってきた。
そう告げた直樹に、パクは言った。

「ほんまに、わざわざそんなことせんでも…。
お前は前から、変に人間臭いからなぁ」

人間臭いと言ってもらった。
俺は特殊なんじゃないか。
頭がおかしいんじゃないか。
そんな風に思うことが何回もあった。
人間臭いんなら、それはとっても良いことだ。

何だかよく分からないが、まだまだ生きて行こう。
そして間に合って良かったと、もう一度直樹は思った。